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日本海側で最大級の地震 石川県能登地方の方々

どうもヤミです。

石川県能登半島沖で「震度7」

本日は年明けで、実家に帰っており家族団欒で話を弾ませていたところ

急に、地震で揺れだしました。

実家はマンションの高層階なので、普段でも震度2〜3程度だったとしても

結構揺れるのですが、今回はまぁまぁの揺れで

「これはヤバいかも…??」

逃げる準備をしなくては!

と思い、上着を着たり荷物を持ったりとしていると

揺れもおさまってきたので、とりあえず避難することをやめました。

結構な揺れだったので、どこが震源地??

と思いテレビをつけてみたところ

石川県能登半島沖で「震度7」?!

僕は兵庫県なのですが、兵庫でこの揺れということは震源地は一体どうなってしまっているんだ??

石川県能登地方の方々、および日本海側の被害にあわれた方々

本当に怖い思いをされたことだと思います。

今はご自身の安全を第一に考えてくださいね!

出来るだけ安全な場所に避難してほしいです。

祈ることしか出来ませんが、どうか無事であって欲しいと思っています。

 

約30年前の阪神淡路大震災を経験

僕も実は、約30年前の阪神淡路大震災をほぼ直撃でくらっており

避難した経験があります。

その時は実家にいたのでマンションの高層階に住んでいたのですが

なぜか、地震発生時間に起きていて

起きていたというよりも、寝ていたのですが目は開いていて

ボーっと布団の中にいたという感じでした。

すると、遠くの方から「ゴー!!!!!」という音が聞こえてきて

次第に音が近づいてくる感じで

急に「下から上に突き上げるように」

「ドォン!!!!」

っと強烈な縦揺れ地震が襲ってきました。

それからすぐに今度は、すさまじい横揺れで

家の中の家具やら何やらは全て転倒して

家中がグチャグチャの状態に。

かなり長い間揺れていて、僕も地震なんか初めての経験だったので

何が起こっているのかさっぱり分からない状態でした。

正直、あまりの揺れだったので

「マンションが崩れ落ちてる」

「よく分からないけど、マンションが倒れていってるんだ…」

と子供ながらに思っておりました。

母親がとっさに僕の上に、布団ごと覆いかぶさって

ずっと守ってくれました。

となりの部屋で寝ていた兄は、寝ている回りが全てタンスだったので

全てのタンスが倒れてきていて「兄ちゃん!!!!大丈夫か?!!!」

と僕もとっさに言いましたが

まさかの買ったばかりの電子ドラムが兄をタンスから守ってくれていました。

倒れたタンスは電子ドラムに倒れかかって止まっていて兄まで到達していなかったのです。

どんでもなく重いタンスだったので、電子ドラムがなかったらどうなっていたことか、、、。

家中のものが倒れ、食器棚などのガラスとかも割れまくっているので

とても裸足で家の中を歩けるような状態ではありませんでした。

家は崩壊とまではいきませんでしたが、通っていた小学校に避難することにしました。

体育館が避難所として使われていたため体育館に行ったのですが

すでに避難者がたくさんいて満員で入れない状態でした。

なので、学校の運動場で車を停め、車の中で1週間の間、避難生活を送りました。

学校がたまに差し入れをしてくれる「パン」 や「カンパン」や「水のいらないシャンプー」などで

なんとか1週間を乗り切りましたが、冬だったこともありとても寒くつらかった思い出です。

地震の怖かった体験は、まだまだ書き切れませんが

今回の石川県能登半島沖の地震で被災された皆様の無事を心から祈っております。

 

 

2件のコメント

  • よっしー

    私も阪神淡路を経験しました。須磨区の北部だったため被害は少なかったのですが家の中はメチャクチャでした。窓から見える長田方面から上がる何本もの黒い煙が恐怖でした。お兄さん、本当に九死に一生でしたね。あれからは私もタンスなどの前で寝ることはなくなりました。
    今回の地震に会われた方々、本当に大変だと思いますが頑張ってください。

    • yamicubes

      コメントありがとうございます。
      よっしーさんも阪神淡路大震災を経験されていたんですね。
      家具はしっかり固定ですね!
      またいつどこで地震が発生するか分からないので、しっかりと準備しておかないとですね!

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